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【キングダム】趙国三大天とは!?趙国の武将を詳しくまとめてみた!

この記事では趙国の武将について詳しくまとめています。

特に以下の3つに焦点をあてて解説していきます。

  • 趙国について
  • 趙国三大天とは!?
  • 三大天以外の武将

などを詳しくまとめていますので最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

趙国とは

趙(ちょう)は、戦国時代に存在した国(紀元前403年 – 紀元前228年)で、戦国七雄の一つに数えられる。国姓は趙、または嬴(秦の王室と同祖とされる)。

首府は邯鄲。

ともとは、晋の臣下(卿)であったと言われています。

紀元前228年に秦に滅ぼされた国です。

 

趙国三大天とは

キングダムでの作中で秦の強力なライバル国として描かれている趙には、(旧三大天)「新三大天」と呼ばれる強力な6人の武将が存在しています。

かつては秦の「六代将軍」とも互角に渡り合ったとされる武将ですが、いったいどんな人物たちなのでしょうか。

物語の三大天で、旧三大天は、廉頗、藺相如、趙奢でした。

そしてのちに新三大天として、李牧、龐煖、あと一席はのちの遠縁として、三国志の魏の司馬懿を生んだ、司馬尚となっています。

 

趙国旧三大天

藺相如

藺相如とは、キングダム内では、描写も互いの首をかけても、と廉頗に言わせた人物です。

功績も去ることながら、政略でも強みを持っていました。

長平の戦いは廉頗将軍が総大将として籠城作戦に出ていたのを、その後、趙括に変更。

龐煖だけがいるだけに過ぎず実戦経験がないと非難しています。

この変更によって、趙は過去最大の被害を受けることになりました。

藺相如は、史実では紀元前298年から266年に活躍している人物で、武力よりも圧倒的な知力を武器に歴史に名を残しています。「完璧」という言葉の語源になった話です。

秦が15の城と、趙の宝、和紙の壁の交換を持ちかけてきますが、趙は秦が城を渡さず和紙の壁を奪うつもりではないかと勘繰ります。

しかし、これは考え過ぎかと周りに諭されるが聞かず、約束を守られないかもしれないので、秦への使者が決まらない時に藺相如が立候補し、使者になりましたが、趙の懸念通り秦は和紙の壁だけを奪おうとし、城を渡そうとは考えていませんでした。

しかし、ここで藺相如が機転を利かせ、秦の昭王を丸め込み、和紙の壁を無事に趙に持ち帰ります。

これにより、和紙の壁を守り切ったことから、壁を全うした=完璧という言葉が生まれました。

知力だけでなく度胸、行動力にも優れていたのはこの話からも間違いなさそうですね。キングダムの時代にはいなかった存在だったので、もしいたらと考えてしまいます。

 

廉頗

六大将軍とも多く戦ってきた廉頗将軍。

三大天と六大将軍の中で最後まで生き残った人物という意味で最も運も実力もあった人だと思います。

山陽の戦いで魏軍を率いた廉頗は蒙驁軍に敗れています。

その時の蒙驁軍の副将が王翦と桓騎という驚異的な強さを誇る将軍を引き連れていました。このあとのキングダムにおける秦国における、登場キャラクターをみると、魏と秦の戦いの質からみて、三大天の言葉以上に輝きを放った人物ではないでしょうか。

最後に趙奢ですが、胡昜との戦いで大きな功績を上げています。

 

胡昜

昌平君の師匠で、六大将軍の一人。

閼与の戦いで胡昜に打ち勝った趙奢。趙奢にとって最大の功績とも言えます。

彼自身は税務官から出世なので、武と勇と知を兼ね備えた人物として、キングダムでは描かれているので、田畑税を徴税した税を管理する役人で、戦国四君の一人である平原君の配下の土地から税が徴税されていないことに気付き、法の下、税を納めていなかった平原君の配下9人を処罰しています。

このことから、真面目で真っ直ぐな性格で、権力にも屈しない強さを持っています。

 

新三大天

李牧

李牧は廉頗が去り、次に秦にとっては一番難敵であり、新三大天というべき存在として、主人公の信とのやりとりでも、格別の描写や存在感を放っています。

普段は涼しげで、好青年なイメージ、本人もむやみな殺生を嫌い、無益な戦争をしない、要するに死者をあまり出したくない戦争を好んでいたようです。

まずは趙北方の脅威であった匈奴軍20万を滅ぼし、次に秦六大将軍の王騎を同じく三大天の龐煖とともに討ち取っています。

さらに、楚の春申君と結託して、斎を除く五ヶ国と同盟し、秦を滅ぼすための合従軍を作り上げ、失敗には終わりましたが、秦を滅亡の危機に追い込みました。

このようにかなりの武や知略を持ちながら、時には、あえて、秦国に呂不韋の罠と知っても、わかって少人数で大国に乗り込む度胸など言葉に出来ないほどの存在です。

 

龐煖

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キングダムの中では、武を極め、膠を殺し、敵陣深くに1人乗り込み、秦の国羌瘣に重傷を負わせ、昌文君には、あいつが生きていたのかと、名前を聞いただけで、一堂が愕然とするほどの存在でした。

また、今までで秦の将軍の王騎(おうき)、ひょう公、摎(きょう)の3人を殺してきた強者。最後に司馬尚は、李牧(りぼく)が三大天におしました。

しかし、司馬尚(しばしょう)は官僚が嫌いで、こんな奴らと出来るかと、その後は仮病を使って、田舎に引きこもっていた。しかし、司馬尚(しばしょう)が戦国の表舞台にでました。

燕(えん)のオルド将軍が、趙(ちょう)の司馬尚(しばしょう)の居城、青歌(せいか)に向けて侵攻してきたからです。

これを、撃破してしまい、偏屈な性格から、龐煖同様、かなり、戦いにおいては良しとして、李牧が間にいなければ、纏まらないなど、最後の三大天にしては疑問がつきますが、キングダムにおいては、相手との間合い、冷静な判断力、見下す言葉。力あっての描写が三大天に相応しい存在として描かれています。

 

その他の武将

趙荘

王騎を討った対秦戦での大将代理で、軍師。自らの戦略に自信を持っていました。

王騎には及ばなかったが、策をもって蒙武軍を壊滅に近い状況に追い込み、援軍として現れた王騎軍とぶつかりあった人物です。

ここで騰の隊に追い詰められ離脱を試みるが、逃げ切れずに戦死。

 

趙括

趙国三大天、趙奢の息子。

キングダムの中では、かなり勇猛な武将として、描かれているが、260年の長平戦で、あっさり王騎(おうき)に真っ二つにされた挙句、戦を台無しにしてしまいます。

史実と違って、七十五話ではかなり、愚策な将軍として登場し、あまり活躍の場が描かれていません。

 

楽乗

趙国大将軍であり樂毅の一族。

廉頗と20年間共に戦い、趙軍のNo.2に位置した人物です。

廉頗すら凌ぐのではないかと噂された程の実力者だったが、王命に逆らい逆賊扱いされた廉頗と対峙すると、廉頗の軍勢を数で圧倒したものの、単騎で切り抜けて来た廉頗に刀を突きつけられて降伏します。

廉頗からは「腹六分目」と評された。力の差が歴然としていたのか、現実を突きつけられたようでした。

廉頗がいなくなり、数年後国を出奔しています。

 

昧広

趙で李牧が失脚したあと、秦を攻めに行った将軍。

反乱軍とは、すでに内通しており、それを承知で突如戦に参戦し、趙国自体が混乱期だったため、統制があまり取れていませんでした。

そこに目をつけて秦の領土、屯留の城まで襲撃。

反乱軍の龍羽と手を組み、反抗する者や従わない者を攻め討ってきた兵たちと戦うが猛攻に退却しました。

 

紀彗

キングダム43巻の趙の黒羊の戦いから出てきた武将。

離眼城では慕われており、随所に桓騎との戦で、城に住んでいるものが、皆殺しにされるのを、城主として守り、時には、戦線を離脱し駆けつけるなど、離眼の悲劇の主人公と言っても過言ではない、働きをし信任を得た城主でした。

 

豪紀

趙国将軍。四百三十九話で秦趙国境地の曹州の守備に当たっていました。

流石の趙国で、前線で陣を張り、飛信隊と交戦し、押されていても余裕を見せていました。

しかし、すぐに形勢が悪くなると、玉鳳隊や楽華隊が増援に現れるとあっさり後退し、あまりにも早い後退に不安の声があがります。

 

善満

趙国将軍。

四百六十三話で、十五年前の「離眼の悲劇」後の王都から勅命で、派遣された将軍です。

李牧も一緒にその場にいながら、この時の様子は、以前桓騎に殺された人達の無念をしっかりと理解した表情で描写がなされており、戦争の重さを実感する機会になっています。

 

紀昌

紀彗の父である、離眼城の前城主。

息子紀彗は桓騎との戦いで、民を必ず守るようにと教えられており、父親がもし、桓騎に上手く理由されるような教え方をしなければ、離眼の悲劇はなかったかもしれないと考えさせられます。

それほど息子が5年かけて、民より信任を得て、守るだけの器に育てたとしたら、父親の教育は間違いなくあっていただろうと推測されます。

 

まとめ

キングダムで描写に関して、史実ではあまり大きい国ではないですが、漫画では、7つの国に別れた中では、かなり重要な役割があり、面白い存在になっています。

キングダムの趙国滅亡に関しても、名がある武将の衰退と復活の両方があり、大国に渡り合うにはどのように立ち回るかなど、現代のビジネスに大いに役立つヒントが散りばめられてるのではないでしょうか。