キングダム

【キングダム】秦国の旧六大将軍を一覧形式で詳しくまとめてみた!

この記事では秦国の六大将軍について詳しくまとめています。

特に以下の2つに焦点をあてて解説していきます。

  • 六大将軍とは!?
  • 六大将軍のキャラクターについて

など六大将軍について詳しくまとめていますので最後まで読んでいただけたら幸いです。

秦国とは!?

秦は中国の王朝の一つです。

キングダムの舞台である古代中国の戦国時代には七雄(秦・楚・趙・斉・魏・燕・韓)の一国として中国北西部に勢力を伸ばしています。

キングダムでは新趙三大天の一人で宰相の李朴が七雄をランク付けすると大ランクが楚・秦、中ランクが趙・斉・魏・燕、小ランクが韓となります。

国王の姓は嬴(えい)で首都は主に咸陽です。

 

六大将軍とは!?

六大将軍は戦神と称された昭王(政の3代前の秦王で曾祖父。

第28代秦国王から、戦争を自由に行う権限を与えられた6人の最強将軍たちのことをいいます。

王騎いわく「六大将軍という枠組みがあったのではなく、われわれが抜きんでて強かったので六大将軍という権限が与えられた」と言っています。

六大将軍が任命されたころの秦は、南の大国楚にも攻め込めるほどとても勢いが強く、同時代のライバルには趙三大天:廉頗(れんぱ)・藺相如(りんしょうじょ)・趙奢(ちょうしゃ)がいます。

 

秦国六大将軍

白起(はくき)

白起は六大将軍の筆頭です。

かつて戦った廉頗らいわく「正真正銘の怪物」。

筋肉質で見開いた目は白目が血走っており、人間味の薄い不気味さを漂わせた風貌です。

昭王の父、恵文王の時代に武将となり、昭王とは親交が深い立場にいました。

白起はとても戦に強く、活躍した場面が多く斬首した数は六大将軍の中でも一番多いのではないでしょうか。

  • 韓・魏を攻めて24万を斬首
  • 華陽の戦いで韓・魏・趙の将軍を捕え13万を斬首
  • 趙と戦い2万を黄河に沈め
  • 韓を攻めて5万を斬首

 

また、キングダムで有名な長平の戦いでは、趙軍を兵糧攻めに追い込み大勝。

40万余りに及ぶ捕虜の兵糧が賄えず、反乱の恐れがあるとして少年兵240人を除く全てを生き埋めにするなど、とても残酷なキャラです。

その他にも白起は大国楚に攻め入って、首都の郢(えい)を落としています。

戦に強すぎた白起は、秦宰相の范雎から煙たがられ、徐々に中央から退けられ、最期は自害へと追いやられました。


 摎(きょう)

六将中もっとも若く、もっとも苛烈な戦いをする謎の多い将軍。

戦場では常に兜で顔を隠していますが、素顔は可憐で美しい女性です。

王騎の召使いで幼少より王騎のかたわらで武芸を磨き、10代から王騎に付いて戦場を駆け回り武功を上げています。

正体は昭王と身分の低い女性との間に生まれた隠し子。

権力闘争で荒れていた後宮では生き残れないと判断した母により、生まれてすぐに王騎の父に預けられ、召使いの子として育てられます。

戦神とよばれた父・昭王の資質を濃く受け継ぎ非常に戦上手。

昭王の隠し子であることが露見しないよう、戦場で名が広く知られる前に兜で顔を隠すようになりました。

数々の戦功をあげて、数年で最後の六大将軍に任命されます。

幼いころ、戦場にでる前に王騎と「将軍になって城を百個落としたら妻にしてください」という約束をします。

王騎は約束を覚えており、百個目の城の馬陽で、この城を落としたら摎を妻にすると二人きりで言い交す。

しかし、馬陽を攻めていた摎は、強い武将との対決を欲していた趙の龐煖(ほうけん)の夜襲にあい討たれてしまいました。

龐煖との個人戦では最終的に敗れたが、かなりの深手を負わせています。

 

王齕(おうこつ)

六将一の怪力を誇る豪将。

昭王と荘襄王(政の祖父)に仕えました。

武器は大斧で長い鬚髯と鼻梁下から細く伸ばした2筋の髭があり、力強く武骨な顔立ちです。

キングダムでは王齕が楚へ侵攻した際、汗明との一騎打ちに敗れて撤退していると汗明が語っています。

しかし、王齕本人は亡くなっているので真相はわかりません。

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この汗明回想シーン以外にはキングダムでのエピソードはありませんね。

また、王齕は春秋戦国時代最大の戦いである長平の戦いで最初に秦の総大将に任命されています。

対する趙軍の総大将は趙三大天の廉頗。

当時、名将とうたわれた廉頗よりも圧倒的に知名度の劣る王齕だったが廉頗率いる趙軍に何度も勝利。

しかし、長平の戦いそのものの決着をつけることはできず、局地戦での勝利でした。

その後、秦国内の計略で廉頗は総大将を罷免され、若い趙括が総大将にかわります。

戦功知名度にまさる廉頗を相手に、決して負けなかったというところからみて戦闘に強かったのだと思います。

 

胡傷(こしょう)

胡傷は知略により文官からのしあがった智謀の将。本名は公孫胡傷。

長い顎鬚をたくわえ、ダーク色系の背の高い被り物をしており、知略の軍師といった趣があります。


胡傷は趙の閼与(あつよ)を攻めるが、当時の趙三大天・趙奢(ちょうしゃ)の奇策にはまり、大敗。

その後、魏の巻・蔡陽・長社を攻めて、これらの地方を取りました。

魏将茫卯(ぼうぼう)を華陽で破り、首級15万を斬った。魏は南陽を秦に与えて和議を結んだ。

史実をみると、六将の中では地味な存在だが、他の5人の六将たちの戦術や計略も実際は胡傷が立案していたと噂されている。キングダムでいまだその力の全貌がみえない王翦(おうせん)の智謀を認めており、師匠のような関係だったといわれています。

王翦は趙の巨大都市・鄴を攻める総大将に任命され、秦国内のだれもが思いつかない奇策をあみ出しながら戦を展開中。王翦の巧妙な戦の進め方を通して、師匠的存在である胡傷の知略も相当高かったのではないでしょうか。

連載中のキングダムでは胡傷がかつて趙奢に大敗した因縁の地の閼与で、王翦軍は戦っています。


司馬錯(しばさく)

「史記」の著者・司馬遷の八代前の祖先。秦では恵文王・武王・昭王の3代に仕えたため、六将のなかで最年長と思われます。

切れ上がった目じりの淡泊な顔立ちで、短い顎鬚があるがキングダムでは人となりなど、まだ詳しい記述はありません。

BC311年~BC280年の間に、蜀に侵攻し、併合。また楚に攻め込み、商、於、黔中をとっています。

魏にも攻め込み、多数の城を落としています。

BC316年、蜀で内乱が起き、また韓が秦に攻めてきた。恵文王は、張儀(ちょうぎ)と司馬錯に対応を述べさせました。

張儀は、韓を攻めて、周を脅し、天下に号令すべきと強硬策を主張。対して司馬錯は、「秦はまだ弱いので、先ずは広大な蜀を手に入れて国力の増強を図るべきである。」と慎重策を主張しています。

恵文王は、司馬錯の意見を採用し、司馬錯が蜀を攻め滅ぼしました。



王騎(おうき)

王騎は六大将軍最後の生き残りです。

どこからともなく戦場にあらわれ猛威をふるったことから、あだ名は「秦の怪鳥」。

分厚い唇と大きなつり目のかなり濃い顔。巨体で腕にはイレズミと無数の傷があります。

武勇と戦場全体をあやつる知略を備えた最強の武将。

昭王が亡くなった後は、戦からも中央の政治からも退き、領地で隠遁生活をおくっていたが、争いごとや戦場に気まぐれで現れて存在感を示しています。

また、信に戦い方や大将軍の心構えを教えた師匠のような存在。

領土拡大のため、秦が小国の韓を攻めていた隙をついて、趙が秦の国境を侵略。

政の求めに応じて趙討伐の総大将の任を受けます。

百人将として参戦した信は、王騎の命で敵将・馮忌(ふうき)を討ち、王騎より「飛信隊」の名を授かりました。

王騎は抜群の戦術で、序盤は大勝利をおさめる。しかし、趙軍を深追いしすぎて壊滅寸前になった秦副将の蒙武を救いに行った王騎は、趙の新三大天・李朴の罠で窮地に陥る。そこは9年前、かつての六将で婚約者の摎が龐煖に討たれた馬陽でした。

王騎は龐煖との一騎打ちで、討ち破る寸前まで追い詰めるが、趙の大軍勢に囲まれて深手を負いからくも脱出。部下や秦軍に見守られ、愛馬の凰にまたがったまま息をひきとりました。

 

まとめ

今回は秦国の六大将軍について詳しくまとめました。

昭王の六大将軍は、最後の生き残り王騎が戦死しいなくなってしまいますが、中華統一をめざす政が新六大将軍の復活を宣言しています。

誰がその六将になるか注目は高いですよぬ。

現時点での六将候補としては可能性が高い順から、蒙武(超パワー系)=楊端和(カリスマ抜群)=王翦(ラスボス感)>謄(おとぼけ万能)>桓騎(超絶陰謀系)、蒙恬(知勇兼備)>王賁(正統派)=信(本能型主人公)>羌瘣(神がかり系)でしょうか。

また、六将のライバルとして新趙三大天は、李朴(知勇最強)、龐煖(武神)の2名が決定していて、残り1枠が気になります。

魏、燕、韓にもライバルはいそうですし、合従軍以外に本格的な戦を交えていない戦国七雄最大の楚には大将軍級が多数いそうです。

信が六大将軍になれるのかも含めて、今後のキングダムも見どころが盛りだくさんでしょう。