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【キングダム】秦国死亡キャラ一覧!

この記事では秦で死亡したキャラクターを詳しくまとめています。

キングダムではたくさんのキャラが登場した反面、亡くなったキャラも多いですよね。

そこで、今回秦国のキャラで死亡した人物を一覧形式で詳しくまとめましたので、最後まで読んでいただけたら幸いです。

 

秦国死亡キャラ一覧

麃公(ひょうこう) 

戦を炎にたとえて戦略を展開する本能型の将軍。強い敵との激しい戦いを「大炎」とよぶ。王騎に並ぶほどの実力者でしたが、昭王からの咸陽への召還を無視して前線に留まります。

このため、実力は高いものの昭王に認められず、六大将軍となることはありませんでした。

知略を巡らさず、味方からすると無茶な突撃をしているだけのように見えますが、最終的には知略に富むものの策略も打ち破って勝利をおさめます。

李牧は「本能型の極致」と称しています。対合従軍戦の終盤、敵の本陣に突入した麃公は、現れた龐煖と一騎打ちになります。

“武神”龐煖を相手に序盤は互角の戦いを繰り広げた麃公。

徐々に押されはじめ、麃公は龐煖の片腕を折ることに成功しましたが、それがやっとで龐煖に討たれました。

死の間際に、信に盾を渡し「火を絶やすでないぞ」と言い残し死亡。

 

蒙鷲(もうごう)

斉の生まれで武将として戦場にでるが、くすぶっており、斉での出世を諦めて各国を転々としていました。そのうち秦国にたどり着き、何とか芽が出て将軍となります。

愛称は「白老」昌文君が蒙驁を「極めて凡庸な将軍」と評するように、定石通りの常套戦術で堅実に勝ちを収めていました。

凡将の蒙鷲が戦功をあげていたのは二人の極めて優秀な武将・桓騎と王 翦が副将として支えていたからでもありました。

蒙鷲は人を見る目が非常に高いと言えます。

今まで一度も勝ったことがない、元趙国三大天の廉頗と、魏の山陽戦で再び対峙します。

廉頗との激しい一騎打ちで片腕を失った蒙驁。

またもや敗けを覚悟しますが、桓騎と王 翦が魏軍を追い詰めます。

魏軍立て直しは不可能と判断した廉頗は和睦を申し入れ、蒙驁は勝ち星を手に入れ山陽を落としました。

山陽戦から二年後、蒙驁危篤の知らせが信に届き、信は駆けつけました。孫の蒙恬もいます。

蒙驁は死の床で、信と蒙恬に「蒙恬と信と王賁。三人で一緒に高みに登れ」と言い残して息を引き取りました。

 

王齮(おうき)


秦国かつての六大将軍。「秦の怪鳥」というあだ名があります。武勇と知略をそなえた最強の将軍。

昭王が亡くなった後は、戦からも中央の政治からも退き、領地で隠遁生活をおくっていました。気まぐれで争いごとの渦中に現れて存在感を示しています。

秦が小国の韓を攻めていた隙をついて、趙が秦の国境を侵略したとき、政の求めに応じて趙討伐の総大将の任を受けます。

序盤、王騎軍は総大将王騎の戦略で大勝利をおさめますが、趙軍を深追いしすぎて壊滅寸前になった副将の蒙武を救いに行き、趙の新三大天・李朴の罠にかかります。

王騎は龐煖との一騎打ちで、討ち破る寸前まで追い詰めるが、趙の大軍勢に囲まれて深手を負ってしまい、部下たちに守られながらからくも死亡。

そのあと部下たちに見守られる中、愛馬の凰にまたがったまま息をひきとりました。


死の間際、蒙武に今後の成長を促すお言葉を残し、信に愛用の大鉾を渡し、副官の謄に王騎軍を託して亡くなります。

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蒼源

中華十弓に秦で唯一名を連ねた達人。

五千人隊となる飛信隊に新規加入で入った蒼仁、蒼淡兄弟の父。

蒼仁、蒼淡の弓は父譲りで相当なものです。

すでに「中華十弓」の一人に数えられていた魏の白公との弓対戦で勝利したことにより、「中華十弓」に認められています。

麃公将軍のもとで働き、特殊弓騎兵団「蒼弓隊」の隊長になります。

戦場でどのような活躍をしたかについては詳しい記述はありませんが、「蒼弓隊」は遊撃隊であるとのことなので、特殊三百人隊であった飛信隊のように戦場を独自に動いて戦っていたと思われます。

最期も詳細はわかりませんが、麃公将軍のムチャな突撃命令によって命を落としたとのことです。

 

乱銅(らんどう)

蒙驁軍の千人将。

坊主頭で口端から傷があります。

魏国を攻めた山陽攻略戦で、高狼城を制圧後、場内の住民たちに対し乱暴狼藉を働いていました。その乱行を見過ごせなかった信に咎められますが、逆上して斬り掛かります。

しかし、信の返り討ちに遭い、一刀で倒されました。

重傷に陥りますが、まだ死んではおらず結局生死は不明です。

 

張唐(ちょうとう) 

昭王の時代から活躍していた秦国将軍。

15歳で初陣を飾り、その後50年以上第一線で活躍。蒙驁とは旧知の仲です。

合従軍編で、蒙驁軍とともに函谷関を守ります。そこで桓騎の側で韓軍総大将の成恢軍と戦うことになります。

実直な戦いがモットーの張唐は、策略を使い残酷なことも辞さない桓騎とは馬があいません。

そんな中、毒使い成恢の“黒玉”攻撃を受けた張唐。毒にじわじわと蝕まれていく体を奮いたたせて、函谷関を下りて桓騎とともに決戦にでます。張唐は成恢を一刀で討ちます。

死を目前にして、ともに戦い、その才を認めた桓騎に「秦国一の武将になれ」と言い残しました。

桓騎は馬上から崩れ落ちそうな張唐の腕を掴んで支えながら死亡。

 

縛虎申

麃公軍の千人将。

麃公を「あの方ほど戦に強い将を他に知らぬ」と言い、忠誠心は相当なものです。

戦に勝つためには味方に大きな犠牲をだしても自ら先陣をきって突き進みます。

麃公軍が魏軍と蛇甘平原で戦ったとき、信は縛虎申隊に編入。

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序盤の激しい戦いで1000人から100人ほどに減っていた縛虎申隊ですが、縛虎申は魏副将の宮元を討つため、魏軍大歩兵団を突破し丘を駆け上がります。

残りの騎馬数騎を従えて縛虎申は先頭をきって丘頂上の宮元の首を狙います。

宮元にたどり着く前に、中華十弓の一人、黄離玄の矢で胸を貫かれてしまいますが、倒れず、騎馬のまま宮元へ突き進み、最期は視力も失いながら死力をふりしぼって宮元の首に刀を突きたてて討ち取ります。

そのあと丘上で部下たちに見守られながら息をひきとります。

 

羅元(らげん)

蒙驁軍の副官を務める将軍。顔に鼻上を走る一本の傷跡がある。山陽戦前段階で、有能な将を夜襲にて暗殺してまわる輪虎に翻弄されていました。

警戒を高めて将軍の守りを固めていた羅元ですが、輪虎夜襲から3日目に討たれて死亡してしまいました。

 

栄備(えいび) 

蒙驁軍所属の将軍。魏国との山陽戦では本隊の正面軍を率いる。

飛信隊・玉鳳隊・楽華隊の単独行動を叱責しつつもその実力を評価し、開戦前に飛信隊に激を飛ばしたりもします。

しかし、輪虎の仕掛けた戦術“輪動”により隊を寸断されてしまいます。

何とか敵将輪虎に切り込みますが、敢え無く討ち取られてしまいます。

 

麻鉱(まこう)

王翦配下の将軍で亜光とともに王翦の片腕と呼ばれていました。

大柄な豪傑といった印象ながら、あくまで正攻法で戦う亜光に比べて「割と策をつかう」。

鄴攻略戦における朱海平原の戦いで蒙恬率いる楽華隊と連携し趙国の紀彗軍を追い詰めます。

しかし、趙総大将である李牧自らが刺客となり、首を刎ねられました。

 

鱗坊(りんぼう) 

王騎軍の第三軍長で、王騎亡きあとは謄軍の第三軍長。

趙の太った将軍・渉孟と対峙したとき「やはり豚語は何を言っているか理解できぬな」と言い放つなど口が悪く皮肉屋。

渉孟の武力が危険だと他の軍長たちに伝えるなど冷静さもあります。

王騎の死の知らせには言葉を発せず、泣き崩れました。


合従軍編で、楚軍の臨武君のところまで突破し、録嗚未と共に斬りかかりますが、最年少で中華十弓の楚軍千人将・白麗に頭部を射抜かれて死亡しました。

 

同金(どうきん) 

騎軍の第三軍長で、王騎亡きあとは謄軍の第三軍長。王騎が総大将だった、対趙戦では目立った活躍は見られません。

王騎の死の知らせを受けて「何かの間違いだ」と涙を流していました。


合従軍編で、秦に侵攻した楚軍を迎撃戦しようと奮闘しますが、氾斗平原で臨武君に討たれ戦死します。

 

袁夏(えんか)

成蟜知己の将軍。

屯留救援戦において成蟜軍の副将となります。

しかし裏切り者の蒲鶮(ほかく)と通じていた、もう一人の副将・龍羽に半ば騙し討ちにされる形で死亡しました。

 

龍羽(りゅうう) 

屯留救援戦において成蟜軍の副将となります。

しかし裏で蒲鶮と通じていて、屯留城内で袁夏を斬り殺して成蟜たちを拘束。

そして屯留の反乱では、反乱軍の指揮官として壁率いる討伐軍と交戦します。

本来の計画では、裏で内通していた趙軍と共に秦の討伐軍を殲滅して、討伐軍の総大将・壁の首を手土産に趙へ亡命する予定でした。

しかし、飛信隊の参戦によって戦況が不利となり屯留城へ撤退。

乱の終盤で、なおも壁の首を狙って奇襲をかけますが、それを察知していた壁により、伏せていた弓隊で射殺されました。

 

黒剛(こくごう) 

丸城を守備する秦の将軍。

「星眼の黒龍」の異名を持つ、隻眼の猛将。呉慶率いる魏軍によって惨敗を喫し、あっさりと戦死しました。

 

段歯(だんし) 

秦国の馬央の城主。

龐煖に討ち取られました。

 

角雲

桓騎軍の千人将。

八の字眉に真ん中わけの髪でいかつい顔立ちで、守りの達人と言われています。

趙国との黒羊丘の戦いで、戦局が変わると判断した黒桜によって呼び出されます。

角雲は黒桜に良いところを見せようとしますが、急な崖を下り奇襲してきた紀彗に首をはねられました。

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孟龍

王翦軍の武将。

合従軍編で、燕国のオルド軍と対峙。

王翦の策略で罠にはめたオルドを生け捕りにするように命じられ、敗走するオルドとその配下を急襲しましたが、オルドの返り討ちにあいました。

 

郭備(かくび)

知力武力を兼備する若手千人将。

下僕出身ですが子のいない士族の養子となり千人将になりました。

同じ下僕出身の信が活躍する噂を聞き、会ったことはないもののひそかに応援していました。

魏国との山陽戦で、初めて信と対面して激励します。信と飛信隊隊員たちは、そのさわやかで立派な姿に感銘を受けます。

初対面のすぐ後、有能な将を狙う輪虎の闇討ちで暗殺されました。

輪虎の度重なる闇討ちで千人将が不足したことから、信は三百将から臨時の千人将に抜擢されます。

補充として、元郭備隊の副将・楚水を始めとした元郭備兵が飛信隊に加わりました。

郭備が生前に信に好意を寄せていたことから、元郭備兵はすんなりと信の配下となりました。

 

樊琉期

政の母である太后と愛人・嫪による秦国への反乱で、国将軍になります。同じく国将軍・樊於期の息子

弱者を殺すのは軍を持つ者の特権と考えて、部族を襲撃しては虐殺を繰り返す残忍な性格。

父とともに咸陽を攻めて民を虐殺し、後宮に侵入して政の娘を狙いますが、駆け付けた信に右腕を切断され、さらに部下に見捨てられて捕縛されます。反乱失敗後、咸陽で処刑されました。

 

ワテギ

異民族・戎籊(じゅうてき)の王。

通称・戎籊公(じゅうてきこう)。かつて秦に制圧された小王国の末裔で、秦に深い恨みを持っています。

国の反乱では将軍となり、戎籊兵1万とともに反乱軍へ参加。

しかし、秦国軍総司令・昌平君には知略も武勇も及ばず戦死しました。

 

まとめ

キングダムは戦国時代が舞台なので、戦場で討死する武将が多いです。

蒙鷲のように子や孫に見守られながら穏やかに死を迎える将軍は珍しいので、かえって印象的です。

歴戦を重ねた将軍たちは次世代の者に影響を与えています。

王騎、麃公は信に大鉾と盾をたくし、大将軍の生き様を見せつけましたし、愚直な張唐の戦いぶりは、桓騎に少なからず影響を与えていると思います。

史実だと李、桓騎といった人気キャラクターも中華統一前に死亡することになりますが、キングダムではどのような展開になるのか、信にはどうからんでくるのでしょうか。